第18回 ことばの音の種類と明瞭度

喉摘後に食道発声で話す理屈について説明する場合、一般には「喉頭という声を作るところが無くなっただけで、話す時に必要な舌や唇などには異常がないので、声を出す練習だけをすればよい」という言い方をします。もちろん、このような説明は大筋では正しく、新声門で音を作ることが食道発声習得の最大の目的となります。しかし、実際に食道発声によってことばを話す時には、ことばの音の種類によっていろいろな問題が起こってくるのも事実です。


たとえば、よく言われているように、「ハ」行の音、とくに「ハ、へ、ホ」の音はなかなか出しにくいという事実があります。これらの音は健常者の場合、声帯の間の隙間をかなり多量の空気が通る時に発生する"ヒュッ"というような音(声門摩擦音といいますが)に相当するわけで、食道発声では食道からの空気の量に制限があるために、新声門のところに勢いよく十分な量の空気を流すことが難しく、従って「ハ」行らしい音が作りにくいのです。同じ「ハ」行の音でも「ヒ」では口の中を舌で狭くして、その部分に空気を流せばよいし、「フ」の音は唇を丸めて空気を噴出すことによって、なんとか作ることができます。いずれにしても、「ハ」行の音を作るためには、食道に十分な量の空気を取り入れる練習が不可欠です。


また、日本語の子音(音声学的に正確にいうと、子音+母音の組み合わせですが)には清音と濁音の区別があり、清音(澄んだ音:無声音)としては「パ」行、「タ」行、「カ」行、「サ」行(の子音部分)があげられ、これと対照的な濁音(濁った音:有声音)は、それぞれ「バ」「ダ」「ガ」「ザ」行ということになります。残りの子音(「ナ」「マ」「ラ」「ヤ」「ワ」行)はすべて有声音です。なお、いうまでもなく、母音(「ア、イ、ウ、エ、オ」)はすべて有声音です。健常者について単純にいえば、清音は声帯を振動させないで出す音で、これに対して濁音は声帯を振動させながら出す音ということになります。食道発声でも理屈は同じで、清音では新声門が振動せず、濁音の子音では新声門の振動と同時に、口の中の発音器官(舌、唇、顎、軟口蓋など)で子音の音を出すということになります。つまり、こうした調節は、新声門と、口の中の発音器官の両方をタイミングよく使うことによって成立しているもので、やはりある程度の練習が必要となります。以前に銀鈴会の指導員の方々を対象として、上にあげたような清音・濁音(無声音と有声音)をうまく出し分けることができているかどうか、を調べたことがあります。具体的にいうと、例えば「パン」と「番」を区別して出せるか、あるいは「鯛」と「台」、「貝」と「害」、「差異」と「座位」などという組み合わせを出し分けることができるか、別のことばでいえば"他人に聞いてもらって、はっきりと違いが判るような音が出せているか?"という検査をしたわけです。結果的に、指導員の方々では9割位の音が正しく聞き取られており、上手な食道発声ではこうした出し分け(音の区別)もうまくいっていることが判りました。しかし初心者の場合、こういう出し分けは意外と難しいもので、やはり他人に聞いてもらいながら、ゆっくりと発音し、どうすればこういう区別が出来るようになるか、を練習をしていく必要があると考えています。因みに、韓国語(朝鮮語)や中国語では、ことばの始まりの音(語頭音)はすべて清音(無声音)となっており、韓国語の場合は清音の中に3種類、中国語の場合は2種類の音が区別されなければならないので、日本語とはまた違った出し分けの難しさがあるのです。


さらに単語のレベルになると、前にも述べたことがありますが、アクセントの出し分けが必要となってきます。


このように、食道発声で自分の話の内容を他人に確実に通じさせるためには、ことばの音を正確に作ることが非常に大切で、それぞれのことばの音の性質を理解しながら練習していくことが望まれるところです。


なお蛇足になりますが、手術の範囲が大きくなって、喉摘に加えて舌や咽頭の一部を同時に切除されたような例では、ことばの音を作る器官の形や動きに問題が起こる場合があるので、食道発声の訓練に加えて、残された部分だけを活用していくような、新しい発音の仕方の練習が必要となってくるといえましょう。


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