第7回 食道発声における空気の取り込み


食道発声で最も基本的なことでありながら、一番難しいのが食道内への空気の取り込みと考えられます。本来、食道は食物や水の通路で、普通なら空気が入っていくところではありません。しかし喉頭全摘後に食道発声を行うためには、食道に空気を取り入れてこれを呼出し音源を作るための動力源としていく必要があります。つまり前回も述べたように、管楽器としての下方からの空気の流れが不可欠となるので、そのための空気が要るのです。


食道に物を送り込むのにわれわれが日常やっているのは"嚥下(飲み込み)"という動作です。これは口の中のものを舌を使って咽頭に送り、さらに食道の入り口が反射的に弛む瞬間に咽頭部の内圧を高めて食道内へ押し込むというものです。嚥下の瞬間には呼吸が止まり、喉頭は閉じて気道へ食べ物や飲み物が入り込むことはありません。


しかし食道発声の場合、一回一回口の中に空気を貯めてそれを飲み込んでいてはスムースな発声はできません。そこで食道への空気の取り込みの基本は、食道へ空気を押し込むか、あるいは吸い込むということになります。押し込むというのは口の中の空気を舌などを使って圧をかけて食道へ送ることで、注射器のピストンを押すような動作となり、注入法とよばれます。ここで大切なのは、注入に際して食道入口部が弛んでいることと、注入を気管孔からの吸気と同じタイミングで行うという点です。食道は胸郭の中にあるわけですから、吸気時に胸腔内が陰圧になるとき、食道内も同時に圧が下がります。そこでその瞬間を狙って注入すれば食道内へ円滑に注入できることになります。


一方、吸い込むというのは、まさにその陰圧を利用して口内の空気を食道内に吸い込むもので、吸引法とよばれます。もちろんこの動作は気管孔からの吸気に同期しており、食道入口部が十分に弛んでいることが前提となります。注入法では注入のつど口が閉じ、場合によっては押し込む動作の一環として唇や頬に力が入ったり、押し込む際の雑音(注入雑音)がきかれることがあります。これに対して吸引法では、口を開いたままでも円滑な空気の取り込みが行われ、自然な発声が続けられます。喉頭がなくなって気管孔呼吸となれば、口の中のものが気道へ入り込んで窒息する怖れはないわけですので、吸引法の場合には、とにかく口の中のものを食道内へ吸い込むという気持ちを持つことが最も重要です。熟練した食道発声者はほとんど例外なく吸引を主体とした空気の取り込みに基づいて発声しています。なお、X線透視で観察してみると、吸引の場合でも、口の中の空気を舌で食道の方にあおるような動作が認められることがあります。佐藤武男先生は、このような方式を吸引注入法と名付けておられますが、これも吸引法の練習の中で自然に身についていく動作であろうと考えられます。


練習の一番初めには、食道へ空気が入るという感覚を得るために、お茶と一緒に空気を“飲む”いわゆる「お茶のみ法」が勧められます。しかし、この方式はあくまで練習の“きっかけ”を与えるためのもので、長く続けるものではありません。少しでも食道に空気が入っていくという実感が得られた後は、口や鼻から空気を啜り込むという感じの練習を続けることによって、吸引を主体とした空気摂取を身につけていくことが食道発声上達のための王道といえましょう。



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