故井上洋一郎さんを偲んで 弔辞

平成30年3月24日
                 友人代表  宮本啓三

銀鈴会特別顧問)


 ここに井上洋一郎さんの葬儀にあたり友人を代表して心から哀悼の意をささげます。

洋一郎さん、あなたは類まれなる強い精神力でもって何度も何度も病魔を追い払い住友銀行(取締役)、大和証券smbc(専務取締役)同グループ本社(専務執行役員)、ニチハ(社長、会長)と会社は変われど重責を次々とこなされ、燦然と輝く功績を残されました。


 約40年の長いお付き合いをしていただいた私にとりまして、あなたは「不死身の洋一郎さん」であり、今もってあなたのご逝去を受け入れることができません。そして、今ここに立ち遺影に向かって「明日は天気がいいので夫婦で青梅ccでゴルフをやろうよ!そのあと五日市のご実家で、飲みながら麻雀をしようよ!」と話しかけると、ニコッと笑って「いいよ!行こう、行こう」とすぐ返事が飛び出してきそうな気がしております。


 こんな私にもまして、永年共に病魔と闘ってこられた奥様の裕子さま、ご長男の貴之さん、ご長女の麻衣子さんにおかれましては、家族思いの洋一郎さんのこの度のご逝去を受け入れられるはずもなく大変悲しいことと、心からお悔やみ申し上げます。


 洋一郎さん、あなたとの出会いは約40年前の住友銀行神田駅前支店勤務時代にさかのぼりますが、ともに入行して約10年、あなたは取引先係の主任、私は貸付係の主任でお互い銀行業務の難しさ、楽しさがわかり始めた頃でした。あなたが誠心誠意お客様に対応した案件を、私が申請書にして本店審査部と掛け合うといった調子で数多くの仕事をこなしているうちに、今日にまでつながる二人の信頼の絆が出来上がりました。そしてその親しい関係は仕事のみならずゴルフ、麻雀、そしてあなたがこよなく愛したお酒にも広がり、お互いに誘えば断ることなく神田駅ガード下の飲み屋で夜遅くまで飲んだことが懐かしく思い出されます。


 その後は別々の支店に分かれましたが、二人の関係が夫婦を交えてより親密になったのは入行25周年の記念の旅行でした。同じ寮にいた同期の齊藤、森迫夫婦に声をかけ4夫婦でハワイ旅行をすることになりました。海外旅行に慣れているあなた方ご夫婦が我々を引率してくださったおかげで、和気あいあいとどの夫婦もケンカをすることなく楽しい旅行になりました。その楽しさが忘れられず、それ以来23年にも及びほぼ毎年、4夫婦で遠くのスペイン、北欧、カナダや近くの韓国、グアム等への海外旅行をしたり、国内は北海道から九州までほとんどの名所旧跡を面白おかしく年々失敗やら笑いやらを重ねながら巡りました。そして、今にしてみれば昨年5月の南九州旅行が最後になりましたが、その時あなたはゆっくり休み休み歩いたり、美味しい食事をも残されたりと元気がなくなっていたように感じたものです。その旅は相当苦しさを我慢して我々に付き合ってくれたのですね?これからのあなたのいない旅行のことを思うとき本当に寂しさがこみ上げてくると同時にこれまであなたと旅したいろいろな楽しい思い出が次々と浮かんでまいります。


 これら我々との旅行とは別にここ数年の間にあなた方ご夫婦は南米のマチュピチュやアフリカのモロッコにも旅行され、念願の五大陸を制覇されましたね!美しい風景をバックにお二人が寄り添った幸せそうな写真をたくさん見せていただき今さらながら本当に素晴らしいご夫婦だなと感激しました。


 公益社団法人銀鈴会という声を失った人達に食道で発声する訓練をして社会復帰をお手伝いする団体がありますが、あなたは声を失った時からこの会に参加され、毎日愛犬の小太郎と早朝の散歩をしながら基本の「あいうえお」を何百回、何千回と血のにじむような食道での発声練習をして日常会話ができるまで上達されました。そしてその経験を活かし、新たに声を失った人の指導員として活躍されたり、理事になり(のちに副会長)賛助会員制度を作られ、銀鈴会の財政基盤の強化に大いに貢献されました。銀行員として証券マンとして培われたあなたの卓越した実力のなせる業と、銀鈴会の役員並びに約千人の会員の皆様が大変感謝しておられます。


 洋一郎さん、あなたの残された立派な功績は強靭な精神力に裏打ちされた並々ならぬご努力と誠心誠意周りの人に尽くされるお人柄によるものと私の心の中にしっかりと焼き付いており一生忘れることはございません。


 洋一郎さん、長い間本当にお疲れさまでした。また長い間本当にお世話になりありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。

 


葬儀・告別式が執り行われた増上寺と満開の桜